みんなで星を見上げれば...

星を見ることを忘れてしまった人々の行く先に希望はあるのだろうか?新たな希望の地を求めて旅立ちの準備をすることにしました。よろしかったらお付き合いのほどよろしくお願いします。

あれから7年も、、、。(3) グレートオーシャンロード

5/18 朝 6:00am

慣れないベッドで熟睡とはいかないまでも、疲れはなく早速出発することにした。
従兄弟は明け方まで仕事をしていたようで、家の中は物音ひとつしない。
起こさないでそのまま出かけることにした。
今では隔世の感があるが、このときはデジカメのメモリがスマートメディアで256MBしかなくこの旅の全工程を記録するのは無理があったが、悪あがきで、行く前に知り合いのいる電気屋で最終在庫の2枚を補充した。
運よく従兄弟がサーバーを持っていて途中でリフレッシュすることができ事なきを得た。

電池は充電式でコンセントの変換アダプタはあらかじめ用意していた。万一にそなえて乾電池も何本か持っていた。5月というと季節は日本でいう秋にあたり、曇り空でまだ薄暗い中での出発。

昨日の予習の成果で迷うことなく目指すグレートオーシャンロードへと向かった。
途中、ジーロングでガソリンスタンドとコンビニをかねた店に立ち寄り給油をし、地元の観光絵地図を買った。
12使途岩群へのルートは2つあり、ひとつは町中の国道の広い道を一気に進むルートで観光バスはそちらを使う。
もうひとつは、くねくねした海岸沿いの片側一車線を行くルートで、行きはこちらを選択した。
しかし、始終海岸が見えている訳ではなく時々現れる程度で満足度はさほど高くない。
おまけに対向車にも気を使わなくてはならず、疲労度は高い。
途中に観光スポットを示す立て札があり、その支持に沿ってわき道をゆくと海岸線に出られる。
いくつかの標識をやりすごしたが、気になったのである標識で指示通りの道を行くとトイレのある海岸に出た。

少し休憩して走り出すと、右手(内陸部)側に小さな滝の看板と駐車所があり、何台か車が止まっていたので
寄り道をして、その滝のあるところまで行ってみた。引き返すとき、親子連れの観光客とすれ違った。
どうやら観光スポットらしい。

それから何度か、車を止めては景色を眺めてのんびりと車を走らせていった。

当時、ようやく携帯電話が普及し始めており、従兄弟との連絡用にレンタルしようとしたが、
グレートオシャンロード-メルボルン間では通じないということで借りなかった。

休む休み進むうち、夕暮れが迫ってきた。
そろそろ到着するはずだがと思いつつ、海岸線を行くがそれらしきものが見当たらない。
前を行く車が2台、右に曲がったが私は海岸沿いをまっすぐ行く。
実はここで後についてゆけばすんなり目的地に行けたのだが、一度内陸に入るの方角だったので
海岸線に出れるとは思わずそのまま直進してしまった。

すると、こじんまりとした町に入り込んだので、その中をぐるぐる回ってみた。
とりあえず今夜泊まる所を探さなければならないので「Inn」の表示のある看板を探していると、
駐車場があるモーテルがあったので、そこに車を止めて入り口に回り受付の呼び鈴を押した。
しばらくすると、ロマンスグレーの中年のおじさんが出てきたので、宿泊できるか尋ねると2人用なら空きがあるとのこと。一人でも良いというので料金を聞くと

「アイティ、アイト」

と言う。

「?。もう一度言って。」

「アイティ、アイト」

「?」

こちらが理解できないとわかると、紙に「$88」と書いてくれた。
オーストラリアでは「エイト」の発音が「アイト」になるんだと思い出した。
ついでに「12使途岩はどこか?」と聞くと、もと来た方向を指差している。
どうやら通り過ぎたらしいことがわかり、宿泊手続きをしてから急いで戻った。
すでにあたりは暗くなってきており、ライトをつけての走行であったが、
先ほど間違えたところを曲がってみるとぐるりと180度旋回して、観光用駐車場が見てきた。

無人の観光案内所があり、大きなタペストリーと写真が飾ってあった。
その建物を抜けると両脇に柵が設置してあり、それにそって進むと舳先のような岩場に囲いがしてあり、
左右に12使途岩が観望できる3メートルくらいの円形スペースがあった。

駐車場に戻るころにはかなり暗くなっていて、そこで彗星の位置を確認しようとしたが、大きな誤算があった。
海風が半端なく強く吹き荒れていたのである。
少々大きめのスリックの三脚を持っていったのだが、車が揺れるほどの強風でとても撮影などできる状態ではなかった。
計画していた12使途岩群と彗星の2ショットは夢と消えた。
後日、星ナビでみごとな同所の星夜写真を見かけたが、よほど条件が整わないと無理であることを知った後だったので
撮影者の苦労が偲ばれ思わず購入した。

せめて彗星の場所の把握でもと思い、双眼鏡を持ち出すも所々雲があったこともあり、ついに見ることはできなかった。
風も強く運転疲れもあったので彗星の確認は明日以降にすることにして、モーテルに戻り近くの食堂で夕食を取ることにした。
ちょっと高級そうな店があったので、今回の旅行で一番のディナーを奮発。
ロブスターの姿焼き。レシートには

5/18 18:50 $54 comfort inn

満腹のお腹でモーテルに帰って少し休憩、ベッドが2つとテレビが一台、電熱ポットがありカップと紅茶のティバックが置いてあった。
テレビは韓国製だった。オーストラリアは食肉、農作物以外は輸入品が多く、家電等は日本の方がはるかに充実していると感じた。
部屋の角に1m角のシャワー場があり、そこでシャワーを浴びてからベッドにもぐりこんだ。

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あれから7年も、、、、。(2)  メルボルン

空港の駐車場に向かい車を見てビックリ!
年季の入った小型の三菱車だったが助手席がない。
空間はあるが、座席自体がない。
自動的に後ろの席に座る事になりますわな。
車種は違うがメキシコで乗ったタクシーのビートルがこんな感だった。
そのときは助手席の替わりに料金メーターが生えていた。
過大な歓迎パーティーは期待できそうもないと直感した。

ひとつだけ用があるとのことで、家に行く前にショッピングセンターのような所に立ち寄った。
ちょうどロードマップが売っていたのでこれから先の事を考えて購入。
このときのレシートが残っていた。

2004/5/17 11:03 chad stone A$ 21.95

家に行く前に翌日移動予定のグレ-トオーシャンロードの方向を知りたかったので途中までの案内をお願いした。
しかし、従兄弟はメルボル市内から出ることはなく、常備してある市内地図をみたが区分けが細かくて
全体的な位置関係がわかりにくかたったので、さっき買った地図が早速活躍することになった。
道中メルボルンでの交通事情をレクチャーしてもらいながら翌日の運転の予習をした。
道路標識にある制限時速は上限ではなく、その速度で走るべき速度であり、
日本のようなダブルスタンダードではないことも教えてもらった。
みんな制限時速で走れば事故は起こりえないという発想だそうだ。非常に理にかなっている。
ただ、初心者にとっていきなり時速100Kmは酷な話で、
そのため「L」というステッカーをつけて走る車にはやさしく接しなければならないらしい。
Lはlearning(習い中)の略。
また、高齢者用には別のステッカーがあったと思う。
郊外は大体時速100Kmが標準で、市内に入ると時速50Km前後になる。
教習はおろか、そのときまで高速は走ったことがなかったので、この旅行での運転は非常に良い訓練になった。
監視カメラが随所にあるらしく罰金はすごく高いそうだ。
幸い旅行中つかまるようなことはなかったが、摘発されると後日支払い命令書が郵送されるてくるらしい。

明日の移動方向が把握できたので、いよいよ従兄弟の住んでいる家に向かう。
メルボルン市内の少し外れたところにあるメルンダ地区で住宅街で一軒家を借りているということであった。
玄関先に少しスペースがあるかなり年季の入った家で5LDK、裏庭は広くて物置小屋、巻きストーブ用丸太割りスペースと手製ブランコのがあった。
居住部屋の一つをネパールからきている学生夫婦に貸していた。
借主がその一部を別の人に貸すことが認められていて、その分家賃負担が軽くなる計算だ。
互いの生活時間帯が異なるので問題はないそうだ。ちなみに従兄弟は夜型だ。
ちょうど部屋にいたので紹介してもらったが、奥さんは今回出会った女性の中で一番の美人だった。

国際免許書は取得済みだったので、早速クルマを借りることにした。
従兄弟が電話帳で近くで安い店を調べてくれて、
そこで一見トヨタ風のほぼ新車の赤い韓国製普通乗用車(Daewoo)を借りる手続きをしてもらった。
到着してすぐ車が使いたい場合は、出発前に空港で借りれるHEINZEレンタカーを事前に予約しておくのがいいかと思う。
何が良いってオーストラリアは交通ル-ルが日本とほとんど同じ点。
右ハンドル、左走行、時速Km表示である。
運転については国の違いによるストレスがほとんどなかった。

クルマを借りて戻り、近所のアジアの方がやっている簡易レストラン(ほっともっとの店内にテーブルが2つおいて、
注文したものをそこで食べるという感じ)で夕昼食をごってもらった。

翌日は早めに出て日のあるうちにグレートオーシャンロードの12使徒岩石群のところまで行きたかったので、
すぐ寝ることにした。従兄弟は夜仕事をするので、そのまま起きているとのことだった。
空き部屋が1つあったので抜群にクッションがきいた広いベッドで睡眠をとった。
このベッドは滞在11日中3回しか使用しないとは、このときは予想だにしなかった。

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あれから7年も、、、。(1) リニア、ニ-ト ダブル彗星に挑む!

プロローグ

2004年5月 リニア彗星とニート彗星が同時に見れるという予測がなされた。
社則により勤続20年の社員に対して2週間の有給休暇と褒賞金が支給された。
年の離れた従兄弟がオ-ストラリアで事業を立ち上げようとた単身渡豪している。
TOYOTAのCMでWISHがグレートオーシャンロードを疾走している画像が流れていたが、
BGMは今(2012年1月現在)は人間修行中のヒッキーだった。

以上の理由で単身オ-ストラリアのメルボルンに行くことにした。
そのことをいつかブログにまとめようと思っていたが、
今週末のやおきさんの訪問を前に荷物の整理を行った際に発見された
37枚のクレジットカードのレシートを基に当時の様子を振り返ってみることにした。

出発は5月16日、父に駅まで車で送ってもらい、JR飯田線-中央線-成田エクスプレスで空港まで行く。
主要機材はパースへのハレー彗星観望ツアーにもお供した8×11の双眼鏡とニコンNEWF2、
オリンパスのデジカメ(記録媒体はスマートメディア、現在は姪のおもちゃ化)。
あらかじめ従兄弟にメールしてメルボルン空港まで迎えに来てもらうことになっていた。

従兄弟は美術大学の先生をしていたが、職を辞して奥さんの故郷であるオーストラリアで事業を立ちあげようと孤軍奮闘していた。30年前に一度あったきりでお互い顔は覚えていないので、予め写真をメール(アドレスは日本にいる従兄弟の姉さんから入手)で送り、彼のデザインした画をHPからDLしてTシャツにプリントし、それを目印にすることにした。

約9時間で何事もなく空港に到着。成田空港と比べるとこじんまりとした印象のメルボルン空港の出口で待ってくれていた従兄弟の存在にまったく気づかず、空港の狭いロビーをうろうろしてから目印のTシャツを旅行バッグから取り出して着ようとすると、声をかけてくる小柄な人物がいた。

出口のところで待っていたが、そのときは私が目印のTシャツを着ていなかったのでまったく気づかなかったという従兄弟だった。ほとんど初対面状態だが、なんとなく会ったことがあるような懐かしい感じがした。
従兄弟は覚えていなかったが、唯一の記憶は小学生のとき母と一緒に(たしか仏壇を返すためだったような気がする)父の兄である叔父さんの所にいった際、子供の喜ぶようなものが何もないからと「ハリスの風」の単行本を出してくれたのでコタツでそれを読んだことくらいだ。



書いているうちにいろいろ思い出してきました。
これは長期連載になりそうな予感、、、。
やおきさんが寝れるスペースがまだ、できていないので今回はここまで。
なぜ、やおきさんがうちに来ることになったかは後日お伝えします。
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