あれから7年も、、、。(7) メルボルン32012-03-06 Tue 12:25 2004/05/20 もう何度同じ道を通っただろうか?たしかに近づいてはいる。 ふと、目を上げると少し記憶にある景色が。 方向感覚を90度修正すると、見覚えある門構えが。 やっと、たどり着いた。まだ、誰も起きていなくて玄関には鍵が掛かっていた。 あらかじめ隠し場所を聞いていたので鍵を開けて中に入った。 誰も出てくる気配はない。とにかく眠いのでそのままベッドにもぐりこむ。 12時過ぎに目が覚めた。従兄弟も起きて仕事をしていた。 これまで経緯を話し、見るには見たが空が明るくてただ見ただけ。 もっと暗い空はないかと聞いてみたが、メルボルンから出ることはないから知る由もなかった。 もっともだ。 デジカメで撮影したデータでスマメほぼ満杯になっており、相談したところ 今まで撮影のデータを一旦サ-バーに保管してもらい、あとでCD化すてもらうことで解決した。 今回撮影したデータを移動させてからスマメをリフレッシュした。これは大変助かった。 旅行に出る前にネットで、メルボルンからタスマニアへ船で行けることを知ったが、 海峡の海が荒れており、一晩中苦しい思いをしなければたどり着けないらしい、 と言う記述があった、という話をすると、今はギリシャから買った豪華客船 「タスマニア・スピリット号」があるから快適に行けると言う。 しかし、今から行くにしても客船なら何ヶ月も前に予約しないと席がないのでは? 行けたとしても野宿? いくつも障害があるように思えたが、そこは楽天的な従兄弟のこと、なせばなるの開拓者スピリットを発揮。 電話で予約できるか聞いてもらうと、その場でカード払いでOKというので簡単にできてしまった。 タスマニアでは一日くらいは晴れる日があるだろうという目論見で3泊する予定で船便チケットを予約した。 「嫁さんの姉が住んでて別荘持ってるよ。」 聞けばタスマニアの北西部にあるバーニー海岸のリゾート地に一軒家を持っているという。 「いま、空いているはずだから使わせてもらえるかどうか聞いてみるよ。」 タスマニア島なら人口の明かりが少ないであろうことは予想できた。 これは期待できる。宿泊場所にも困らないならなおさらだ。 いきなり目的がタスマニア島リゾートドライビングに替わった。 少し時間もあるし、車を洗車しておこうと思ったが、 水の貴重なオーストラリアではそんな罰当たりなことをする人間はいないと忠告された。 郷に入っては郷に従え。まあ、レンタルだしいいか。 念のため出港する場所を把握しておきたいと思い、地図で道を調べ事前調査に出かけた。 従兄弟の家から30分かからない距離で道なりに行けばほぼ一直線で行けた。 これなら楽勝。港脇の駐車場に車を止め、乗船受付ロビーまで歩いてゆき、壁に貼ってあったタスマニア島の地図を眺めた。 うーーむ。明日はここに居るのか。未知の場所の訪問に心が弾んだ。 窓口は出向前まで閉まっている。出向受付は夜18時以降だ。 従兄弟の作った夕食(バイトで日本食レストランの寿司職人の経験があるらしい)をネパールの学生夫婦と4人でいただき、今夜はフェリーでタスマニアに行くと伝えた。 だんなさんにデジカメを見せると興味をもったらしく、私の帰国前にはデジカメを購入してしまっていた。 もっと色々話がしたかったが、学生とはいえ働かなくてはらならいし、何しろ私自身が従兄弟宅にいる時間が少なかった。 ここまで1泊半。お互いを知るには時間がなさすぎた。 電話で従兄弟の義理の姉にあたるルース姉さんと連絡を取って、別荘を借りる手はずを整えてもらい、 別荘までの地図を描いてもらった。別荘は少しわかりにくい場所にあった。 海岸にあるのに森の中を抜けてゆく。 ルース姉さんはかなり離れたフィンゴ-ルという旧鉱山の町で教師をしており、事前に掃除をしておいてくれると言う。 別荘の鍵は近所に一軒だけある雑貨屋のご主人に預けるから、そこを尋ねていくという手はずになった。 かなりの急展開だが、これぞ個人旅行の醍醐味。キャンベルポートから帰ってきたときとほぼ同じ装備でそのまま出発することになった。 島の物価が本土より高いことは予想できたので、途中でガソリンを満タンにして港へ向かった。 ところが夕方で景色が違って見えたため、間違えて信号をひとつ早く曲がってしまい、 メルボルン市内中心部の方へ向かう道路に出てしまった。 まずい。港に行くには左折する必要があるが、そのルートが見つからない。 このまま進んで行っては乗船時間に間に合わない。 既にカード支払い手続きは終わっているので返金は利かない。 さあ、どうする。 スポンサーサイト
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