みんなで星を見上げれば...

星を見ることを忘れてしまった人々の行く先に希望はあるのだろうか?新たな希望の地を求めて旅立ちの準備をすることにしました。よろしかったらお付き合いのほどよろしくお願いします。

はしふぃく家の人々 ~永遠の6分38秒~ 第二回 暗中模索

ぱしふぃく家の壮大な計画など露知らず、一人暗澹たる日々を過ごしている人物こそ今回の主人公SPICEこと「アダンの実」である。SPICEというコードネームはある組織に潜入するためもので、彼が高校生の頃から好きなバンド、ユーライアヒープが20年ぶりに新譜を出した事に由来している。ユーライア・ヒープが正式デビューする直前形のバンド名がSPICEだったのである。

時は2年前に遡る。その年の原村星祭りでの事。

意志井氏は星祭りで日食に関する講演を何度かしており、祭りの実行メンバーとのつながりもあったのでだが、アダンの実はそのことをまったく知らなかった。過去、意志井氏と会場でどこかですれ違った可能性はあるが、面識はなく2人が言葉を交わすのは1年後のことになる。というのもアダンの実はイベントには参加する機会がほどんどなかったからである。星祭りでの彼の役割はお茶所「きらら庵」+「森本商店」で、ときどき居なくなる(女性の後を追って)おじさんの替わりに店番をやりつつダブッたコレクターアイテムを売りさばいて小銭をかせぐというものであった。もちろん初めからそうではなく、そうなったのには天文がらみの次のような経緯がある。

1986年4月9日 76年ぶりのハレー彗星回帰を条件の良い南半球で見ようと初めて飛行機に乗ったのがオーストラリアの庭園都市パースへの旅であった。このときのハレ-彗星は照る照る坊主のような姿で我々を失望させたが、そこで知り合ったYさんとIさん(ふたりは古くからの知り合い)とは意気投合し、翌年の沖縄金環日食へ一緒に行くことなる。もし、記憶が正しければアマゾンさんが一緒だったはずである。ハレー彗星はいまいちだったがバスで4時間内陸に入ったモーガンさんの牧場で体験した星明りは今もって最高の空であった。天の川で人の影ができる暗さを想像できるであろうか?

1987年9月23日、YさんとIさんとともに沖縄で金環日食を初体験。みごとに晴れ渡った空の下で最高の条件だった。Yさんに翌年の日食について相談したところ、「まだ、大丈夫だよ。年末で充分間に合うよ。」という話で、今にして思えば根拠のない理由で申し込みを先延ばししていた。年末に東京発のにっぽん丸の予約をしようとしたら既に満席であった。あわてて探し当てたのが神戸発の太陽花号のツアーであった。ちなみにYさんとはその後、乗鞍に天文台を持つ山下先生の観測所に行ったり、神奈川の自宅まで訪ねていって昔のSFTVについて語り合ったりしていたが、「もうすぐアルマゲドンが来ます。私の先生の教えに従えば助かります。」というあやしい団体に参加した事を知り、付き合いを絶ってしまった。自宅にグランドピアノを持ち、星と音楽を嗜む好青年であった彼が何故そのようなことになってしまったのか、今となっては知る由もない。Iさんは一昨年、原村で見かけたが、まだ独身のようで、きらら庵の助手のみゆきちゃんを口説こうとしているのをみかけたが話しかける事はなかった。結局、小笠原皆既日食は単独で申し込んだ。

1988年3月18日 小笠原沖下記日食で、村真野翁率いるにっぽん丸は、その指示のもと最新機器を駆使し、みごと皆既日食の観測に成功を収めた。きらら庵の茶室の主「由美師匠」はそのにっぽん丸に乗船していた。彼女は日本で初めて茶室と天文台を合体させた観測所を建てた人物として某朝日新聞の取材を受け、しっかり「若いときの」写真入りで全国版で紹介されたことがある。アダンの実は同じく小笠原沖で半分雲に突っ込んだ「今日永三行」の主催した日食ツアーで「太陽花号」に乗ったためコロナを半分しか見えれず、苦い思いをしたのであるが、村真野翁は雲に向かって進んで行く我々に「おーい、そっちじゃないぞーーー。」と叫んでいたというのを彼女から聞いた。もちろん、その声は波にかき消され、翁の思いは水泡に帰したのである。その時、同じ太陽花号に乗り合わせ意気投合したMr.鈴木東栄が駿台学園天文同好会のメンバーで、その会の集まりに誘われて出かけていった時に初めて、そこの会員である彼女と対面したである。同じ世代でもあり親近感を持っていたが遂に相思相愛になることもなく時は過ぎていった。

そして、アダンの実が星空を求めて長野にデューダしてしばらく音信不通になっていたが、ある年、原村星祭りに出かけたとき、偶然彼女と再開し、以来10数年に渡り年一回の星祭りの折、織姫と彦星が逢うが如くお互いの様子をさりげなく報告するようになったのである。その間に彼女は姓が変わり、星とお茶という2足のわらじを履き続け、今は裏千家のお茶の師匠として後身の指導を行うまでになった。その弟子の一人があの「森本おじさん」で、毎年彼女と一緒にいくつかの星祭りで共同ブースを持つことになるのであるが、二人の本当の関係については誰もその事には触れない、いや触れてはならないという空気が流れている。森本おじさんは「ぱしふっく家」の大尾家の当主信也氏の弟子にあたる方で、野辺山電波天文台の設立にご尽力された方で(当人は地元の人と交流を図るため好きなお酒を楽しんだけと語ってくれた)、定年後はしばらく鹿児島大学で教えてその後、西はりま天文台の顧問を引き受け、現在、単身姫路にお住まいである。おじさんが「主人」と呼んでいる奥方様は東京でご自宅を守っておられるが熟年何とかではないそうだ。あくまで仕事の都合による住み分けであるとの事である。お子たちはみな独立して、ご長男はニューヨークで活躍されしているそうである。お孫さんを含めて年に一度家族で集まるのが恒例行事となっているそうだ。よって家庭の状況はきわめて良好であると推測される。その森本おじさんに

「トカラ皆既日食はどこでご覧になられます?」と聞いて見たところ、

「ペルーのクロちゃんがなんか計画しているみたいだから、そちらの方で見ることになるんじゃないかな。」

「それに参加できますかね?」

「うーん、おじさんは詳しい事知らないからクロちゃんに直接聞いて見てごらん。」

という返事であった。
ここでクロちゃんとコンタクトを取っていれば状況は違ったものになっていたかも知れない。クロちゃんは既に「ふじ○」を押さえる手はずを整えていたのである。このときおじさんの知り合いという事を主張すればなんとか入り込めたかの知れないが、その時点では日本に2万トン級の客船が4艇しかない事や、船が一番晴れ間で見れる可能性が高いことなど把握していなかったのでトカラの様子を見て駄目そうなら、もう一度相談にのってもらおうかなぁなどとのんびり構えていたのである。やっぱ子供の頃から憧れてたあやしげな名前の離島で皆既日食を体験してみたいと思っていた。まだ、禁忌日本旅籠が村営船のとしまを独占し、トカラ列島7島の上陸権を買占める事になるなど、まったくわかっていない頃の話である。のちにこれも禁忌日本旅籠が押さえることになる「にっぽん○」をはじめ、世界一周のメインイベントとして皆既日食を持ってきた飛鳥Ⅱ、クロちゃんが確保した「ふじ○」、ぱしふぃく家がおさえた「びーなす」の4艘の大型客船に乗れる可能性はこの時点において皆無だったのである。ちなみにおじさんには昨年、塩尻駅まで車で送っ行った際、高級遺跡そばをご馳走になった。この場を借りてお礼申し上げます。また、星祭りで深海魚を縁に知り合った「アキノリ君」は幼稚園児の頃からの常連さんで毎年滋賀から来てくれて、今年は中学2年になっている。きらら庵の常連さんは年毎に増えて行き、みんな祭りでの再会を楽しみにしている。

今年「びーなす」で同じ体験した方々が来てくれないかなぁ、と願う今日この頃である。

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